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オピニオン Opinion
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古河記念講堂
 華麗なるホーンテッド?マンション

 生半可、霊感があるため、辛い目にあっている*1

 シックスセンスは、年代物のアンティークを見る時にも「無駄に」発揮される。アンティークに纏わり付くセピア色の数多の情念が透けて見えてしまう。困ったものだ。総長室にあるクラーク先生の油絵も、すでにアンティークの風格がある。総長コラム愛読者の方であればご存知のあの未解決事件、「クラーク先生視線移動」事件*2以来、深夜に目を合わせるのを避けている。

 こうした骨董、アンティークの世界にも「和モノ」と「洋モノ」があるが、やはり怖さという点では、断然、和モノに限る。とりわけ最恐の骨董は、「甲冑」「刀」の類である。その前に立つと、怨念や極彩色の耽美的映像が脳裏に浮かび、その場で卒倒しそうになる。中でも、顔全体を覆う面頬と言われる般若のような面がついた鎧兜は、この世のものとは思えぬ怖さである。ホント、コワイ!
 「八つ墓村」のラストシーンで洞窟の薄暗闇の中で古い甲冑が白蝋化した死体と共に瓦解するシーン。横溝正史をカバーした古畑任三郎シリーズの「今、蘇る死」でも、鎧兜が倒れて死人が出る。鎧兜がスローモーションのようにゆっくり倒れてくるシーンでは、数多の怨霊が覆い被さってくる。げに恐ろしき。
 鎧兜や妖刀に代表されるアンティークは、どれもこれも過剰に装飾されている。実際、国宝級の煌びやかな甲冑は、異常な自己顕示欲の塊とも言えるほど、これでもかと言うような装飾の極みである。実際、血なまぐさい修羅場の戦さの場でも恐ろしいほどに目立ったに違いない。あの極彩色の彩りや丹念に手縫いされた緋色の糸、そして、自己陶酔に憑りつかれたような豪奢な甲冑が、名も無き足軽の功名の一突きの格好の目印にならなかったのが不思議だ。

 そう考えると、アンティークや鎧兜が苦手な本当の理由は、霊感などではなく別にある。華麗な装飾は、正統性、由緒正しさを表している。凡人は、この正統性にビビッてしまう。足軽、成り上がり者は、こうした正統性にたじろいでしまったのかもしれない。
 自分自身、家柄も血統も月並みで、我が家で人に自慢できる骨董品など皆無である。お宝と言えば、メジャーリーグ移籍直前の大谷翔平からもらったサイン入りのグローブくらいである。このグローブ、正直、唯一の家宝である。メルカリに出せばどれほどの値段が付くかと賎しい気持ちで毎日眺めている自分が情けない。

 札幌キャンパスの南エリアに、壮麗なアンティーク、古河記念講堂がある。明治42年、1909年の建築と言えば、もう112年が経っている。竣工は日露戦争から5年後のことである。日本は日露戦争における莫大な軍費負担の末、薄氷の勝利を勝ち取ったが、戦後大変な不況になっていた。その最中、よくぞ古河財閥は、当時の日本の帝国大学に、現在の10億円に相当する寄付(当時、100万円)をしてくれたものである。その浄財でこの古河記念講堂は建てられた。太平洋戦争で失うことなく、戦後になり、1969年の大学紛争の頃は、目の前で全共闘の学生と機動隊の衝突が繰り広げられた。いわば、北大の原点とも言うべき場所に建ち続け、明治、大正、昭和、平成、令和を見続けてきた*3
 築後112年ともなると、どう修繕しても、老朽化はいかんともしがたい。遠くから見ればなんとも壮麗であるが、間近に見ると寄る年波には勝てない。このまま浦安のディズニーランドに運ぶことができれば、人気のホーンテッド?マンションとして再生できるかもしれない。

 総長就任後、周囲から、一度見学して今後のことを考えてほしいと要望があった。
 「何か出る」とか「棲んでいる」などと言った気味の悪い風評は聞いていない。あるいは、事故物件でもないことは、怖いもの見たさのファンに人気のある事故物件サイト「大島てる」でも確認した。あるいは、地元の心霊スポット案内のHPにも全く登場しない。何もビビることはない。
 視察の日、僕の怖れを察してくれたのか、関係者総動員による総勢15名余りでの大見学会となった。「出るもの」も怖くて出られないほどの大デリゲーションとなった。建築様式は、アメリカン?ヴィクトリアンというらしい。犬神家というよりも、可愛らしいゴーストバスターズが大活躍しそうな洋館である。
 建物全体は完全な左右対称性を有している。インドのタージマハルも対称性では優れているが、残念ながら完璧ではない。どうだ!この古河講堂の完璧な対称性。おかげで基本的に建物は、左右どちらかを視察すれば、十分である。正面の二階に繋がる階段は、様々な装飾が施されて凝ったデザイン。112年を経た部屋のドアには、「林」という漢字をデザイン化した意匠が施されている。
 幸い、ゴーストに出会うこともなく、何かおぞましい引力に引かれて階段から転落する怪我人や死人を出すこともなく、視察は平穏無事に終わった。
 最後は、この美しい対称性の建物玄関の前に一同並んでカシャ!!無事、記念撮影のシャッターが切られた。

 その後、よからぬ出来事もなく、関係者に怪我人や心身の不調を訴える者が出ることもなく、数日が過ぎ、その写真が出来上がった。
 ある深夜、何気にその写真を見て、戦慄が走った???見知らぬセピア色の髭を蓄えシルクハットを被った明治の人影が一瞬、僕の背後に見えた。

 もう放っておけない。明治の篤志家達の熱い思いが込められた古河記念講堂。112年間の研究者、学生の営みのモニュメントが朽ち果てるのを見過ごすわけにはいかなくなってしまった。彼らの思いが、記念写真に心霊写真まがいの錯覚を起こさせたに違いない。

 視察から数日後、観測史上1位となる大雪が師走の札幌キャンパスを覆いつくした。真っ白な美しい雪化粧を施された古河記念講堂は、惚れ惚れする美しさである。西暦2021年がまもなく終わり、創基150年を迎える2026年まであと4年となる。